おしまコロニーの機関誌「ゆうあい」は隔月で、御家族の方々をはじめ、全国各地の施設・関係機関、団体等に配布されております。多くの方々の寄稿文、実践活動やイベント、エピソードなどを交え、みなさまに近況をお伝えしております。

 

2016年10月号


おしまコロニー the 50-year history 1967 - 2017


来年、平成29(2017)年、「おしまコロニー」は開設50年という大きな節目の年を迎えます。この間、一貫として「生涯教育」の理念を掲げ、いかなる世代の人たちでも支援を受けることが出来る体制の構築を目指し、その歩みを重ねてきました。そこで、今年度の「ゆうあい」巻頭頁では、5回にわたってその半世紀の足跡を辿ってみたいと思います。



 

Ⅲ.拡充期 実践に次ぐ実践

- 一生涯を支える仕組みの体系化へ -


昭和46(1971)年6月 ゆうあい会診療所開設

昭和50(1975)年1月 函館青年寮開設(通所部併設)

昭和51(1976)年10月 侑愛荘開設

昭和53(1978)年4月 ゆうあい養護学校高等部開校

5月 第二おしま学園開設

昭和63(1988)年11月 星が丘寮開設


ゆうあい養護学校高等部ハンドベル演奏

ゆうあい養護学校高等部ハンドベル演奏

必要とされるものを創る
(教育、医療、自閉症、高齢期)

「おしま学園」が開設された当時、知的障がいのある子どもたちの多くは「就学義務の免除・猶予」の名の下に、教育を受ける機会に恵まれていませんでした。しかし、「障がいがあるからこそ、必要とされる教育がある」と、公平な学習機会を保障することへの強い執念がありました。ご父母の皆様とともに上磯町(当時)と何度も話し合いを重ね、「おしま学園」開設から半年後の昭和43(1968)年、上磯町立石別中学校の特殊学級が開校されました(建物は、「ゆうあいの郷」敷地内に自前で用意)。特殊学級は、養護学校が義務化される昭和54(1979)年まで続き、その後、道立の七飯養護学校に移管されることになります。昭和53(1978)年には、夜学を前身とした「ゆうあい養護学校高等部」を任意開校しました。これによって、義務教育である小中学校は「公教育」、それ以後は「ゆうあい養護学校高等部」による「私学」という教育体制が確立されたのです(ゆうあい養護学校高等部は平成二一年閉校)。

「ゆうあい会診療所」は、昭和46(1971)年に開設されました。医療は、人が健康的な生活を営む上で欠かすことの出来ない領域です。しかし、「ゆうあいの郷」近隣には病院はなく、当時すでに230名を数えた利用者の方たちの健康を守っていくために、自分たちの手で診療所を作る必要があったのです。

自閉症児を対象とした専門施設として昭和53(1978)年に開設された「第二おしま学園」についても、年々増える自閉症児への対応に苦慮し、より専門性の高い取組みの必要性に迫られたものでした。同時に、自閉症児の親の会(全国組織)からの期待を一身に受けてもいました。法的な裏付けのない任意開設でしたが、その後、全国初めての「福祉型」自閉症児施設として認可を受け、10年後の昭和63(1988)年には成人向けの施設「星が丘寮」の開設へとつながっていきます。「おしまコロニー」の自閉症支援は、前号でご紹介した「おしま地域療育センター」の早期療育から始まり、児童期の「つくしんぼ学級」「第二おしま学園」、そして成人期の「星が丘寮」へと連なり、「TEACCHプログラム」のアイデアを柱に体系化されていくことになります。

昭和51(1976)年に開設した「侑愛荘」は、高齢者のための施設として作られました。一生涯を支える体制づくりを目指した「おしまコロニー」にとって、人生の締めくくりをいかに支えるかというテーマは大きなものでした。高齢者だけを対象とすることには議論もありましたが、心身の老いによる様々な機能低下が避けられない方たちに適した支援環境を考えた、全国的に見ても先駆的な試みでした。

これらの分野に限らず、制度があろうとなかろうと、障がいのある方一人ひとりの人生や暮らしを保障していくために必要とされるものや仕組みを一つずつ整えていきました。そこには必ずしも、高邁な理念や、時代を先取りしようとする計算があったわけではありません。実践が次の必要を生み、また実践を重ねる。「おしまコロニー」の事業展開は、後から振り返ると「必然」と呼べるものばかりでした。

街の中で暮らしたい
(通所、グループホーム)

通勤寮「はまなす寮」を中心とした「施設(ゆうあいの郷)から地域へ」と向かう社会自立の取組みは、一般企業へ就労が可能な方たちが中心でしたが、障がいが重く一般の職場で働くことの難しい方たちの「街の中で暮らしたい」という声に応えて生まれたのが「函館青年寮(昭和50年開設)」でした。立地条件の良さから、当時はまだ珍しかった通所部門を併設し、「働く(福祉的就労)」営みを運営の中心に据えました。街の中に「働く(福祉的就労)」場が出来たことは、「障がいのある方たちは入所施設へ」という、それまでの常識が変化していく契機となりました。「家(親元)から通う」という生活スタイルは瞬く間に広がり、通所施設(作業所も含む)は街の中に点在していくようになります。さらに、入所施設や家庭以外の「暮らし」の場の選択肢として、グループホームが増えていくようになります。一般就労をする方ばかりでなく、街の中に「働く(福祉的就労)」場があり、「暮らし」の面でも衣食住などの部分的支援があれば、一般の職場で働くことが難しい方であっても、街の中で暮らすことが出来るような仕組みが少しずつ出来上がっていくことになるのです。

ゆうあいの郷全景(平成10年頃)

ゆうあいの郷全景(平成10年頃)

機能共同体として

障がいのある方たちの一生涯を支えようと描いた青写真は、「おしまコロニー」開設30年を経る頃には、ほぼ現実のものとなりました。「今(点)を支える」だけでなく、「人生そのもの(線から立体)を支える」ことを目指してきた歩みでした。特色のある事業の一つひとつは体系的なつながりをもった「機能共同体」として、一人の利用者を中心として密接な連携を持つこととなります。すなわち、一人ひとり違った人生を支えることが出来るように、各施設や事業所が自己完結することなく、お互いに有機的な連携を図る必要性があったのです。この「機能共同体」という考え方は、「おしまコロニー」の存在証明とも言うべき重要なキーワードであり続けています。

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