おしまコロニーの機関誌「ゆうあい」は、毎月、御家族の方々をはじめ、全国各地の施設・関係機関、団体等に配布されております。多くの方々の寄稿文、実践活動やイベント、エピソードなどを交え、みなさまに近況をお伝えしております。

 

2014年11月号


ゆうあい編集委員が行く!訪問記 Vol.5


ワークショップまるやま荘 佐藤・千葉

おしまコロニーの出発は今から47年前の昭和42年のことでした。海に山が迫った海岸線を函館から西に30kmほと辿った上磯町(当時)当別の地に、知的障がいのある子どもたちの施設『おしま学園』を開設しました。以来、いかなる世代の人たちでも支援を受けることが出来る体制の構築を目指し、現在その事業所の数はグループホーム等の小規模なものも含めると80カ所を数える、国内でも有数の規模を持つ法人となりました。それは「器」としての施設を超えて、施設の持つ「支えとしての機能」を柔軟に組み合わせ、様々なニーズに多面的に応じていくための歩みの結果と言えるのかもしれません。この「つながり」こそが、おしまコロニー固有の大切な財産となり、その存在証明となっていきました。新しい企画「訪問記」では、ゆうあい編集委員が、この「つながり」を確認、また再発見するための取材に出かけます。ご期待下さい。



 

今回の訪問先は、七重浜追分地区(北斗市)にある『おしま屋』と『サポートはまなす』です。『おしま屋』は、北海道で初めての福祉工場として開設されました。一般就労が困難な方たちに「労働」と「賃金」を保証することで、グループホーム等での地域生活を支える役割を担ってきました。

一方、『サポートはまなす』の前身『はまなす寮』は通勤寮として、おしまコロニーが推進してきた地域移行、社会参加の取り組みにおける中心的な役割を果たしてきました。現在は、一連の制度改革によって福祉工場も通勤寮もなくなりましたが、新たな装いを整えて障がいがある方たちの地域生活を支え続ける両事業所を取材しました。

おしま屋

おしま屋

周囲に静けさが残る朝の5時、本日の訪問先『おしま屋』に到着しました。早出の従業員(※注 一部を除き『おしま屋』では「利用者」という呼称は使いません)の方たちは、すでに出勤して仕事に取りかかっているようです。私たちも、細谷副所長の案内で更衣室のある二階に急ぎます。休憩室では、これからの作業に備えて、早めの朝食を取っている方の姿が見えます。細谷副所長から、『おしま屋』での取材スケジュールの説明を受けました。まずは、従業員の方たちと作業体験(弁当容器へのおかずの盛り付け)。今ぐらいから7時頃までが繁忙を極めるそうです。私(千葉)は普段、当別地区の地域交流ホーム『夢』で厨房作業に取り組んでいるため、馴染みのある仕事です。その後は、『おしま屋』の歴史や現状についてのお話を聞かせて頂けるそうです。白衣や帽子を身に付けて、さっそく厨房に向かいます。「食品衛生は、手洗いに始まり、手洗いに終わる」と誰かがテレビで話していたのを思い出しましたが、ここ『おしま屋』でも、皆さん「手洗い」と「消毒」は入念に行っていました。お弁当の容器がびっしりと敷き詰められたテーブルの上も当然ゴミ一つ無く、ピカピカ。衛生的な環境であることが一目で分かります。

おしま屋弁当

従業員の方たちに短く自己紹介した後、いよいよ作業開始です。漬け物の盛り付けの後は、魚のフライや揚げ物を付けていきます。「順調、順調」と得意になっていたその時、近くで作業をしていた従業員(ベテランそうな)の方から「上3つの弁当のおかずが綺麗に抜けているなぁ」、「魚の向きが変わっているし」、「角度も違うなぁ」と次々と指摘を受けてしまいました。…ガーン。おまけに「ちゃんと教えなきゃダメだろ」と更にベテランそうな方から、その方が注意を受けています。当たり前ですが、盛り付けに対する注意の払い方やこだわり、そのどれもが、訪問客である私と比較にならないほど意識が高いことに気付かされました。毎日、多くの一般企業や顧客相手に届けているお弁当です。単純ミスや見落としは、長年培ってきた信頼を揺るがしかねません。気持ちを入れ直して、次に蓋をかぶせる作業に入りましたが、ここでも「向きが違うなぁ」と直される始末…。

私が今体験したおかずの盛り付けの他にも、野菜切りやご飯盛り、鍋やざる洗い、残菜分別処理、在庫管理、様々な作業があります。従業員の方たちはスピーディに、かつ慎重に作業を進めていきます。配達に出て行く人の姿も見えました。あっという間の一時間半でしたが、先ほどの気付きの他、「職員」と「利用者」という分け隔てが無い対等な関係性や、職業意識、社会的マナーなど『おしま屋』が大事にする姿勢について知ることが出来ました。

会議室に移動して、細谷副所長より『おしま屋』の成り立ちについて伺いました。福祉工場として開設されたのは平成3年のことですが、そのルーツを辿るには昭和54年まで遡らなければなりません。当時は、5年前に新設された『はまなす寮』出身の人たちが次々と就労自立を果たしていた時期でした。しかし一方では、一般就労に失敗、若しくは困難な人も少しずつ出始めていました。そうした背景を受けて『喫茶店ハイム』は開店しました。就労自立者の「憩いの場」として、同時に就労困難者の「社会実習の場」として活用されることになります。その後『喫茶店ハイム』の実践は、小規模作業所『だいさん』の開設に繋がります。喫茶店から作業所、そして福祉工場へと発展した『おしま屋』は、現在は多機能型(雇用型、非雇用型)事業所へと姿を変えました。

次に現状を伺いました。最初に、企業的側面です。往時は、一日に900食近く出ていた仕出し弁当は、消費者指向の多様化やコンビニ弁当の台頭もあって1/3程度にまで減少しましたが、業務省力化や新規顧客開拓等の営業努力もあって、全体の売上は回復傾向にあるそうです。次に福祉的側面です。年々、従業員の方たちの高齢化が進み、平均年齢は50歳を越え、65歳以上の方も4名いらっしゃいます。企業的戦略を前面に掲げて若く職業スキルが高い人を受入れることも可能だったはずですが、長く『おしま屋』を支えてきたベテラン従業員の「働きたい」気持ちを大事にしてきた温かい福祉的視点をそこから感じます。

福祉工場として開設した時から『おしま屋』は、「企業的側面」と「福祉的側面」の両立に苦心する道を選んだと言えるのかもしれません。『おしま屋』は、過渡期を迎えようとしています。

サポートはまなす

サポートはまなす

次に『サポートはまなす』に移動しました。案内は、引き続き細谷副所長です。ちなみに細谷副所長は本日訪問する二つの事業所を兼務されています。事務所は北斗市追分のグループホーム『つぐみ荘』に併設されていました。まず『サポートはまなす』の概要について説明を受けました。現在『サポートはまなす』が支援しているグループホームは24ヶ所、約120名の地域生活者を支えています。グループホームは、主に北斗市七重浜周辺、及び函館市桔梗方面にあります。生活支援員と、各グループホームの世話人さんが連携して24時間365日の切れ目の無い支援を行っている、とのことです。

グループホームを見学させて頂けることになりました。最初に、向かった先は函館市中の沢にある『ききょう荘』です。木造2階建ての、とても古い建物です。開設したのは昭和62年、グループホームが制度化(平成元年)される前の「生活寮」として認可を受けました。この『ききょう荘』は「一般就労が困難な人たちでも地域生活を可能に」という目的の元に初めて整備された「暮らし」の場だったそうです。現在は6名の方が暮らしています。次に、再び北斗市追分方面に向かいました。案内された場所には大きく瀟洒な黄色い家が建っており、駐車場にはクレーン車が横付けされています。細谷副所長によると、この建物(中古物件)は『新ききょう荘(仮称)』になる予定、とのこと。現在はリフォームの真っ最中らしく、見学時も外装の工事が行われていました。中に入ると、元々高齢者対応の大型住居だったらしく、全面バリアフリーなのはもちろん、廊下からトイレに至るまでとても広いスペースが確保されています。足腰などが不自由な高齢者の方たちの入居を考えていらっしゃるそうです。他にも、特色のあるグループホームをいくつか見学させて頂きました。

ききょう荘

車中、細谷副所長から現在のグループホームを運営する上での課題について教えて頂きました。「現在、運営するグループホームの殆どは貸家です。昔は、障がい者への偏見もあって、実際に貸し渋りなんかもありました。しかし、周囲へ正しい理解が広がり始めると、最近ではむしろ『借りてくれませんか』なんて話が来るのも珍しくなくなって、障がい者の地域生活が当たり前になりつつあるのを感じていました。しかし、ここ数年のグループホーム火災問題のあおりを受けて、消防法や建築基準法等の関係法令の締め付けが大変厳しくなりました。スプリンクラーの設置一つ取ってもクリアしなければならない課題が大きく、新築等で大きなコストを投入しなければならないとなると、地域生活の広がりに不安を感じます」

新ききょう荘

お昼の休憩を挟んで、函館市西桔梗町にある『ワタキューセイモア(株)函館営業所』を訪問しました。主にホテルや病院のリネンクリーニングを手がけている大きな会社です。ここは、現在『サポートはまなす』で支援する方2名のお勤め先だそうです。そのお一人と会ってお話を伺うことが出来ました。「他にも色々なとこで働いてきたけど…。年取ったせいか、腰が辛くなってきた。けど、体が動くうちはやっぱり働きたいかな」と笑顔で教えてくれました。工場長さんの評価も高い様子で、ホテルリネンの種分け作業に汗を流していました。

今日、最後の訪問先はグループホーム『かりん』です。場所は北斗市七重浜、『旧七重浜保育園』があった敷地にあります。ここには、朝訪れた『おしま屋』で一緒に働いた二人の女性の方がそれぞれ夫婦で暮らしていらっしゃるそうです。ご存じの方はもう少ないかもしれませんが、おしまコロニーでは現在までに、『はまなす寮』出身の方を中心に20組以上の結婚家庭が生まれています。これからお話を伺う勇さん、照子さんご夫妻はその記念すべき一組目だそうです。銀婚式は既に終えて、ご結婚されて42年を数えます。

勇さんは「施設から社会へ(平成3年刊行)」という冊子を持ってきてくれました。そこには『はまなす寮』の20年史が写真と一緒に綴られていました。最初の頁は昭和46年1月、真冬の園外実習の時のものです。『新生園』の7名が武田(後の)寮長と誇らしげな表情で写真に収まっています。そこには勇さんの若かりし時の姿も写っていました。次の頁には同年7月、未認可で開設された『はまなす寮』の旧舎の姿があります。ちなみに「通勤寮」の制度が出来たのは同年12月のこと。先ほどの『ききょう荘』然り、『おしま屋』の前身然り、当時のおしまコロニーの実践は、国が福祉制度を形作るより、一歩その先を行っていたことが分かります。更に頁を進めます。はまなす会(自治会)や職親会(障がい者の就労援助団体)の発足、勇さんご夫妻の結婚、通勤センターの改築、グループホームや小規模作業所の開設、等と続きます。勇さんは、勤労者表彰を受けるほど仕事熱心な方でしたが、現在は仕事をリタイアして悠々自適な毎日を送っていらっしゃるそうです。「よく義弘さん(同居する夫妻)と大野の温泉に行くんだ」とのこと。一方、照子さんは「私はまだまだ稼がなきゃ」と、あと数年は『おしま屋』の仕事を続けるつもりでいらっしゃるようです。とかく、お二人が語る思い出話には、武田寮長の名前がよく出てきました。「お父さんのような存在だった」と語る照子さんを通して、今も薄れることの無い、強く深い絆が偲ばれます。

施設から社会へ

早朝のお弁当作り体験から、勇さんご夫妻とのお話まで、とても濃密な取材となりました。おしまコロニーが進めてきた「地域移行」「社会参加」の歴史を辿ることが出来、その歩みの重さに心揺さぶられる思いがしました。ありがとうございました。

おしま屋

事業種別:多機能型事業所

開設:平成3年

定員:20名(就労A型10名/就労B型10名)

サポートはまなす

主たる事業所:つぐみ荘

従たる事業所:グループホーム23ヶ所

定員:115名

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